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知りたい!株式会社新生銀行レイクの歴史と誕生秘話

株式会社新生銀行グループレイクは利用者の多い金融業者で有名ですが、一体どんな形で誕生したのでしょうか?

CMでもよく見かけますし、口コミでは「誰でも借りられる」「学生や専業主婦も借りれる」「審査が早い」「自分名義のカードが作れる」「ネットからの申込みがいつでも出来る」などなどメリット点盛りだくさんです。

でも株式会社新生銀行グループレイクって最初からそういう名前だったんでしょうか?いえいえ最初からそういった名前ではなかったようですね。

今回はレイクの歴史について掘り下げてみたいと思います。

レイクはいつ誕生したのか?

株式会社新生銀行グループレイクは現代では銀行系カードローンです。所謂銀行系金融です。でも昔からレイクは銀行系だったわけではなく、元々は消費者金融でした。

そのレイクがどうして銀行系カードローンの金融に変わったのかは後ほどお話しいたしますが、まずはレイクがいつ産声をあげたのか調べてみました。

ある1人の男性TM氏の父親はある事業をしていました。TM氏の父親の事業はその頃は比較的順調に事を運んでしました。

しかしある事業へと変わった時、経営困難になり失敗に終わりました。TM氏の両親には借金だけが残り、子供心ながらに「自分は人の為に役に立つ金貸しをしたい」と思うようになりました。

大金を稼ぐためにTM氏は自衛隊へ入隊しました。でもやはり大金を稼ぐとなるとかなりの労力をしいれらるため必死に働くTM氏。

4年後には300万までお金を貯めることが出来ました。休みには金融や経済に関する本を読みあさり、勉強に没頭。独学で金融哲学を学びました。その後自衛隊を辞めました。

そしてついに25歳の時にTM氏は今のレイクになる元祖株式会社パーソナルリースを1964年設立させました。

1960年代後半ば「高度経済成長期」。戦後最も生活が豊かになりつつある時代でもありました。そんな中、当時の金融業界では「お金を融資する」制度等全くありませんでした。

TM氏は色々考えた上で「会社員にお金を貸せる事業を何とか展開させたい」と言う思いから消費者金融を開始。これが初期の消費者金融の誕生と言えましょう。

パーソナルリースの事業の展開とは?

パーソナルリースは大阪の曽根崎に本社を置き、会社員に向けての「お金貸しますよ~!!」と街ゆく人々に宣伝チラシを配布しました。

そして融資希望のお客さんから連絡が入るとバイクに乗って現金を届けていました。まるで出前みたいですね。(笑)

でもパーソナルリースの半分以上の利用者はマスコミ関係が多かったとか。近所にそういった関連のビルが多かったからです。

TM氏はマスコミ関係者なら仕事での飲食や立て替えが多いし、サイドビジネスでの副収入が高いことに期待感を持っていました。理由は返済能力がかなり高いからでした。

でも生活資金の融資の為、会社員にお金を融資することを一貫してやっていました。

まあこれがレイクの産声秘話と言えますね。

パーソナルリースの当時の金利とは?

1回の融資金は当時は1万5千円。貸出上限金利は年利109.5%でした。

当時では決して金利としては低くないと言われてましたが、会社員が何処からも気軽にお金を借りられることが容易ではなかった為、無担保・無保証・簡単な審査などサービス内容としては人気上々でこの頃から即日融資をしていました。

昭和40年代の消費者金融の金利とは

私が生まれた昭和40年にはもうすでに消費者金融の存在はあったんですね。知りませんでした。今の今まで。

当時の消費者金融は特定の顧客に対して自社の手持ち金額で足りない時には24%~30%まで高い金利で貸し出しをしていたとも言われています。

金利が24%~30%ですかぁ!!それはそれは!今の時代ではとても高すぎますね!

そんなに高い金利で融資を行ってたんですね~私が物心つくかつかないかの微妙な時期だったんですね。驚きです。

その後1975年(昭和50年)にレイクがアメリカの○○○銀行が取り入れていたパーソナルカウンセラー制度にヒントを置き、1人1人の利用者に対してパーソナルカウンセラーの資格を持った人が個別に相談に応じるということです。

融資に不安な利用者に対して今でいう心のケアみたいなものでしょうか?そういった制度を取り入れたことにより利用者との関係をよくするためにやっていきました。

昭和60年代にはレイクは融資に不安な利用者に対して個別に対応してくれるパーソナルカウンセラー制度がすでにあったんですね。こういった制度は利用者からすればとってもありがたいし、心強いですね。

この頃から消費者金融の件数がどんどん増えつつあり?

昭和60年4月に私は某クレジット会社に入社。この頃はカードでキャッシングする方が多く、消費者金融の話とか噂は余り聞いた覚えはありません。

只、「サラ金」と言った言葉が流行し始め、これが所謂消費者金融に対するイメージ言葉だったと言えるのではないでしょうか?

今思えばこの頃から徐々に消費者金融の件数がどんどん増えつつあったのだと私個人としてはそう思ったのですが。実際のところは分かりません。

レイクのその後の歴史?1990年以降

1996年(平成8年)2月レイクは○○○信販株式会社のクレジット部門&信販部門を譲り受けました。

平成に入ってからはますます大手消費者金融が出没、競争時代へと突入していきました。ライバル消費者金融はどんどん件数が増えていきました。

1998年7月16日レイクの消費者金融部門を○○キャピタルが買収すると発表されました。
同年8月27日GE○○○○○子会社のZES株式会社がレイクと吸収合併。

同年11月2日レイクからほのぼのレイクへ社名変更されました。ここからですね~ほのぼのレイク時代が暫らく続いたのは。

可愛らしいキャラを用いてテレビCMでもよく見かけるようになりました。丁度娘が生まれた平成8年にほのぼのレイク誕生になったんですね!

さて2000年以降はほのぼのレイクはどうなっていったのでしょうか?

2000年以降のほのぼのレイク・大手消費者金融としての歴史

大規模消費者金融となったほのぼのレイクは大阪から東京に本社を移しました。でも競争率が高まって行く上で、ライバル消費者金融の○○○や○○○○などど常に肩を並べるような形で運営し続けていました。

しかし平成のバブル崩壊の影響もあってか、2008年(平成20年)ほのぼのレイクは株式会社新生銀行に買収され、株式会社新生銀行の子会社となり、今まで続いたほのぼのレイクの名前は消えました。

ここからが株式会社新生銀行レイクとしての名前が誕生しました!

株式会社新生銀行レイクとしてスタートしたその後は?

2009年(平成21年)新生ファイナンシャル株式会社として事業を続けていました。

しかし1年後の2010年(平成22年)に貸付業務改正により全ての消費者金融に対して総量規制が降りかかり、規則が厳しくなり強制的に従わなくてはならなくなり、経営が苦しくなっていく消費者金融が増えました。

そんな中、レイクは株式会社新生銀行の子会社として消費者部門を譲り、銀行系カードローンとして事業展開を図って行く運びとなりました。

株式会社新生銀行の子会社としてレイクは以前のような消費者金融ではなくなり、総量規制の無い銀行系カードローンとして今でも運営をしています。

でも株式会社新生銀行に買い取られたことにより、レイクの消費者金融のイメージは段々薄れていく傾向にあると思います。

でもまだまだ大勢の中にはレイクを消費者金融と勘違いされてる方がいますね。もうほのぼのレイクではありません。

株式会社新生銀行グループレイクなのです!でもやっぱり過去のことを思うとややこしい面がありますね。

1964年(昭和39年)株式会社パーソナルリースとして誕生、1975年(昭和50年)に株式会社レイクに社名変更。2008年(平成20年)株式会社新生銀行レイク誕生と様々な形でレイクの歴史は今日まで動いてきました。

今考えるとあのTM氏の存在がなかったら今のレイクはなかったに違いありません。でも本当にTM氏って凄い人ですね!25歳の若さで会社設立させたんですから。それが今のレイクなんですね~!!

TM氏の出前融資運びから今はネット申し込みや自動契約機、電話申し込みと言った形で融資の申し込みも変わってきました。今や殆どの金融ではネットからの申込みが多いですね。

株式会社新生銀行レイクの歴史と誕生秘話、如何でしたか?分かりにくい面もあったかもしれませんが、色々話を進めていくうちにこんな歴史がレイクにはあったんだなとつくづく感じております。

これからも株式会社新生銀行レイクは利用者に対するサポートをどんどん行い、新しいサービス商品も出していくことでしょうね。今後のレイクに期待しましょう。

【参考ページはこちら】
レイクのカードローン限度額を上げるコツとは

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